Megumilosophy

コンプレックスと自分らしさと

私は、コンプレックスの塊のような人だった。

声、容姿、頭の出来(笑)
その中でも、強烈なコンプレックスだったのは、実は『声』で。

私の素の声を聞いた方は重々承知の高めで舌っ足らずな声と喋り方は、子供の頃、簡単に苛めの対象に簡単になった。
曰く、

「ぶりっこ(死語。年がバレるな、おぃ……)」
「媚売ってる(小学生でこの言葉は今から考えると凄いな。喝采を送ろう)」
「ガキ(ウルサイダマレ)」

そうじゃなくても、かなり激しく陰険な苛めが水面下で行われてた、小学校高学年から中学1年。
苛めの対象は私だけじゃなかったんだけど、できれば遠慮して逃げ出したいのは当たり前で、塩水使って発声したり、かなり無茶苦茶な方法で声を潰そうとしたんだよね。

ま、ね? 声は潰れますよ、確かに。
でも、ちょっとやそっとじゃ、元の声を完璧に変えるまでにはいかないんだな、これが。
人間の身体って、結構タフに出来てるもんです。

そんな無駄な足掻きをしている間に、高校生になって、声を使った仕事をチラホラとするようになって。
声のトーンをそれなりに変えることが出来るようになってからは、無理矢理声帯を痛めることはしなくなった上に自分の声を『自分らしさ』と捕らえることができるようになってきた。
まぁ、声が故に私を苛める人がいなくなり、逆に褒めてくれる人が増えたからなんだとは思う。単純ですね。

でもって、面白いことに。
コンプレックスが強烈であればあるほど、それを乗り越えた時、最強の武器になるってことに気づいたんですよ。
ようはやっぱり、当人の気の持ち方次第、だったんだよね……(苦笑)

それに気づいてからというもの喋るのが楽しくなって、声を駆使して創り上げる世界というものに急激に傾倒していって。
おかげで、素敵な出逢いが沢山あるし、「声」を切欠に学ぶ人間学ってもんもあって。
自分の人生、すっごく変わったな〜と、思う。
何よりも、自分の持つパワーってモノを信じられるようになったのは、『声』と『コンプレックス』がくれた、かけがえのないご褒美というか、宝物だと思ってる。

まだまだ落ち込んだりもするけれど、まだまだコンプレックスはあるけれど、一番でかいモンを自信に繋げることができたのだから、自分は大丈夫だと、心から、そう思う。
この自負がある限り、多少の困難も打ち勝ってみせるし、自分らしさを損なわずにいれる……と、そう思ってる。

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